彼女はコーヒーを二口飲んで、少し黙った。
その日、いつもより風が強かった。
町のはずれにあるカフェに、コートの裾を押さえながら彼女が入ってきた。
「今日は、どれにしようかな」
いつもの席に腰を下ろしながら、そう呟く。
彼女のまわりには不思議な静けさがあって、けれどそれは決して重たくない。風が止まった時の、あの、静かな余白のようだった。
「ホンジュラスの新しい豆、入ってますよ」
店主がメニューの端をトントンと指差す。
「じゃあ、それを」
カップが届くと、彼女はすぐに口をつけず、しばらく湯気を眺めていた。
それから二口、静かに飲む。
「……すごく、整ってる。苦いけど、尖ってない」
店主は小さく頷く。
「山の奥で育った豆なんです。1,750メートルの高地。丁寧に水洗いされて、しっかり乾かされた、クラシカルな味わい。ローストナッツやビターチョコ、キャラメルみたいな甘さもあって」
「クラシカル……なるほど」
彼女はゆっくりと笑う。
「ホンジュラスって、前に大きな被害があった国でしたよね? サビ病……だったかな」
「ええ。2012年のことです。葉が落ちて、豆が育たなくなって。けれど生産者たちは諦めず、品種を変えて、山に戻った。これは、その復活の証なんです」
カップの縁に指を添えて、彼女は「すてき」と呟いた。
誰かの人生の再起を、遠いこの国の片隅で味わっている。そんな感覚だったのかもしれない。
「今日は、焼き菓子ありますか?」
「あります。バターを使ったやつ。しっかり甘くて、コーヒーと相性いいですよ」
「うん、それがいい。なんだか、今日はそのくらい甘くてもいい気がする」
風が少しだけやんだ。
彼女はコーヒーとお菓子を交互に味わいながら、ゆっくりと午後を過ごした。
日本のどこか、名前も出ない町のカフェで、ホンジュラスの山の香りが、カップの中で静かに広がっていた。