グァテマラ・レタナ農園

「このコーヒー、静かですね」

日本のどこかにある町の、小さなカフェ。

午後の時間が少しだけゆるむころ、彼女はそう言った。

「今日は、グァテマラです。レタナ農園という場所の豆で」

店主はそう答えながら、カップを置いた。

彼女はすぐには飲まず、湯気の向こうをぼんやり眺めている。

「グァテマラって、コーヒーの国ですよね」

「ええ。世界で初めて、産地ごとの違いを“価値”として語った国です」

グァテマラには、山が多い。

火山があり、谷があり、標高によって空気も土もまったく違う。

だからこの国では、コーヒーは“国”ではなく“地域”で語られてきた。

レタナ農園も、そんな山あいのひとつにある。

急な斜面、昼と夜の大きな寒暖差、そして火山性の大地。

派手な環境ではないけれど、作物と向き合うには誠実さが求められる土地だ。

「レタナ農園の人たちは、昔から同じやり方を大切にしているそうです」

水で丁寧に洗い、余計なものを残さないウォッシュド精製。

奇抜なことはしない。流行を追いすぎない。

その代わり、毎年、同じように畑を見て、木を見て、土に触れる。

グァテマラの生産者にとって、コーヒーは仕事であり、誇りであり、文化だ。

土地は借りものではなく、代々受け継がれる存在。

だからこそ、「一度きり」ではなく「続いていく味」を目指す。

「なんだか、真面目なコーヒーですね」

彼女はそう言って、ようやく一口飲んだ。

「ええ。前に出すぎないけど、ちゃんとそこにいる感じです」

深煎りにすることで、豆の個性は声高に語らない。

代わりに、長い時間をかけて育まれた土地の力と、生産者の手仕事が、静かに伝わってくる。

彼女はカップを置いて、少し考えるように言った。

「こういうコーヒーって、

 誰が作ったかを知ると、味が変わる気がしますね」

「たぶん、それがグァテマラのコーヒー文化なんだと思います」

遠い山の大地と、名前のある生産者。

その間にある時間や手間や暮らしが、一杯の中に収まっている。

日本のどこかの町で、

今日もまた、グァテマラの物語が静かに注がれていた。