レッドワインの余韻
アディスアベバの空港に降り立つと、コーヒーの香りが鼻をくすぐった。
エチオピアでは、コーヒーはただの飲み物ではない。
それは文化であり、時間であり、時にはちょっとした陰謀の道具にもなる。
***
「一杯どうだ?」
ヤシの木陰に広がる小さなカフェで、ムルガがそう言った。
彼はアナソラ・ウォッシングステーションの責任者で、グジのコーヒーについて話し始めると止まらない。
「これはアナエロビック・スロー・ドライだ。嫌気発酵でじっくり時間をかけて作った。飲んでみろ。」
カップを口に運ぶと、ライムのような明るい酸味と、シロップのような甘さが広がった。
最後に残るのは、まるでレッドワインのような余韻。
「……これがコーヒー?」
ムルガは満足げに笑う。
「驚いただろう? エチオピアのコーヒーは進化し続けてるんだ。」
***
「ところで、エチオピアのコーヒーがどうして世界中で愛されてるか知ってるか?」
ムルガがニヤリと笑う。
「そりゃあ、発祥の地だからだろ?」
「まぁ、それもあるが、実はエチオピアのコーヒーには“消えた王の財宝”が関係してるんだ。」
「……財宝?」
ムルガはカップを置き、声をひそめた。
「昔、エチオピアには“失われたソロモンの財宝”があるって噂されていた。
でも、その財宝がどこにあるのか誰にも分からない。王族も探したが、手がかりは一つだけ——“香りが導く”とだけ書かれた古い文書だ。」
「香り?」
「そう。それでみんな考えたんだ。エチオピアで最も芳醇な香りを持つものは何か? 答えは簡単だ——コーヒーだ。」
「まさか……。」
「それ以来、世界中のバイヤーがエチオピアのコーヒーを求めるようになった。
表向きは“最高品質の豆を探す”ためだが、本当の狙いは別にあるのかもしれない。」
ムルガはグッと身を乗り出す。
「もしかすると、どこかのウォッシングステーションの地下に、その財宝が眠っているかもしれないんだ。」
カフェの片隅で、小さなラジオからアムハラ語のニュースが流れている。
外では、コーヒーセレモニーのために薪がくべられ、ゆっくりと焙煎の香りが立ち込めていく。
「で、お前はどうする?」
ムルガはいたずらっぽく笑った。
カップの底に残ったアナソラのコーヒーを見つめながら、俺は答えた。
「……とりあえず、もう一杯もらおうか。」